「天草」と聞くと、何を思い浮かべますか?歴史で習った天草四郎時貞や島原・天草の乱、最近では〔世界遺産・長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産〕から天草のキリスト教のことも思い浮かべるかもしれません。思い浮かべた天草の代名詞となる言葉を歴史背景を知りながら深められる天草のおすすめ観光地をご紹介。

知っているようで知らない?!天草とは

天草とは、何県?島?半島?

天草とは、天草上島(かみしま)と天草下島(しもしま)を中心に大小158(有人島18,無人島140)の島々からなる「天草諸島」をさします。熊本県の県庁所在地である熊本市から南西約61kmに位置し、その熊本市の南西に伸びる宇土半島の先に浮かぶ島々のなかに、天草諸島のなかでも特に大きな天草上島と天草下島があります。より細かくいうと宇土半島のすぐ近くに、大矢野島、野牛島、戸馳島、維和島、野釜島、その先の天草上島があり、それらは天草五橋と天草パールライン(宇土半島の先端・三角から天草上島間)で結ばれています。天草上島と天草下島間は、天草瀬戸大橋で結ばれています。

天草基本情報

【天草諸島】熊本県
総面積:997.7平方キロメートル
上天草市、天草市(平成18年に2市8町合併)、苓北町の3つの行政区分にわかれています。
人口:上天草市26,721人(令和2年国政調査)、天草市112,068人(令和2年国政調査)、苓北町6,321人(令和6年)

天草までの交通手段、アクセス

天草パールライン
天草パールライン(国道266号線)

1)陸路の場合、熊本市からは車(レンタカーや公共バス)、電車で向かうことができます。
2)空路の場合、阿蘇くまもと空港もしくは福岡空港から天草エアラインで、天草空港に向かうことができます。

<一例>弊社ツアーでは、東京(羽田空港)から空路、阿蘇くまもと空港に行き、そこから陸路を車(ツアーバス)にて、風光明媚な天草パールライン(国道266号線)をドライブし天草へと渡ります。

天草のおすすめ観光スポット

天草キリシタンの歴史とは

天草にキリスト教が伝来したのは、1566年(永禄9年/戦国時代)。ポルトガル人宣教師アルメイダ修道士が天草下島を訪れ、布教活動をし、多くの住民がキリスト教徒となりました。しかし、1587年(天正15年)に豊臣秀吉による伴天連追放令、1613年に禁教令が発令されてから明治初期までの約250年間、キリスト教は禁教となり、宗教弾圧や重税に苦しみました。1637年(寛永14年)には、天草四郎時貞を総大将に、飢餓と重税に苦しんだ天草や有馬の領民により起こした島原・天草の乱(一揆)を起こすも、結果はキリシタンの敗北に終わりました。

天草キリシタン関係の観光地~天草下島の崎津集落と崎津教会~

崎津集落
崎津集落
諏訪神社から見た崎津教会
諏訪神社から見た崎津教会

天草下島の南西、半角湾に面し、世界遺産に登録されている崎津集落。ここは多くの潜伏キリシタンが禁教令の間、天草崩れなど密告による危機に面しながらも、難を逃れ、信仰を守り続けてこられた地域です。禁教時代は、潜伏キリシタンの取り調べ所となった諏訪神社、そこから禁教明けに建築された崎津教会がある崎津集落を歩けば、ところどころで歴史的な場所に行きあたります。また、素朴で懐かしさを感じさせられる漁村の風景に癒されるものがあります。その崎津集落を船に乗り、海上から崎津教会や海上マリア像を眺めるクルージング(約30分)もあります。

天草キリシタン関係の観光地~天草下島の大江教会~

大江教会
大江教会

崎津集落から、国道389号線で北西にバスで約10分移動した先に「大江教会」があります。ここは、島原・天草の乱で全滅したと思われていたキリシタンが160年余りを経て、多く発見された潜伏キリシタンの里。1933年(昭和8年)にフランス人宣教師ガルニエ神父が私財を投じて建てた白亜の教会と敷地内にある神秘さを醸すルルドは必見です。

天草市内観光~天草下島の本渡(ほんど)を散策~

祇園橋
祇園橋
殉教戦千人塚
殉教戦千人塚

天草空港がある天草の中心地、本渡(ほんど)。ここは、1637年(寛永14年)、島原・天草の乱においてキリシタン軍と唐津軍との死闘が繰り広げられた場所。国内最大級の石造りの桁橋で国の重要文化財に指定されている「祇園橋」の下を流れる町山口川を中心に激戦が繰り広げられました。そして街を一望できる「城山公園」には、このときの殉教者供養の「殉教戦千人塚」があります。また市中にある「天草キリシタン館」は、島原・天草の乱からキリシタン関係までの歴史を学ぶには必見です。

かつての天草の中心地~城下町の苓北(れいほく)~

富岡城
富岡城

江戸時代に代官所が置かれ、天草の政治、経済、文化の中心だった苓北は、天草下島の北西、富岡湾に面した美しい海岸線を有する町です。1602年築城の「富岡城」も、1637年の島原・天草の乱において激戦地となりました。

↓苓北町公式YouTube

天草旅行のおすすめ宿泊地とホテル

天草下島の温泉ホテル

ホテルアレグリアガーデンズ天草
ホテルアレグリアガーデンズ天草
サンセットリゾートホテル望洋閣からの夕陽
ホテル望洋閣からの夕陽ホテル

天草下島には、天然温泉が楽しめるホテルがあります。天草本渡温泉や天草下田温泉は、海に面し、絶景のロケーション。温泉に浸かり、美しい海の景色を眺め、美味しい海の幸も満喫。
ユーラシアの旅では、天草下田温泉では「望洋閣」または天草本渡温泉「ホテルアレグリアガーデンズ天草」に宿泊します。
*ツアー、出発日によって、宿泊地が異なります。詳細は、日程表をご確認いただくか、お問い合わせください。

おとなりの長崎県・南島原市のキリシタン関連観光地

島原・天草の乱の最後の舞台「原城跡」と隠れキリシタンの潜伏と弾圧の歴史を伝える「有馬キリシタン遺産記念館」

天草史郎の墓(原城跡)
天草史郎の墓(原城跡)
有馬キリシタン遺産記念館(南島原市)
有馬キリシタン遺産記念館

天草諸島・天草下島から、長崎県島原半島までの最短距離は、わずか約4.5km。『島原・天草の乱』の最後の舞台となった原城跡は、島原半島の南、有明海が城の東側に面する丘の上にあります。ユーラシアの旅(ツアー)では、天草下島からフェリーで島原半島へと移動し、長崎におけるキリシタンの歴史を学ぶことができる「原城跡」と「有馬キリシタン遺産記念館」へご案内いたします。

特集記事「島原の乱とは、原城跡に天草四郎と一揆軍の場所と原因を辿る」はこちら

03-3265-1691

営業時間 10:00~17:00(土日祝除く)

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