鶴岡市・酒田市を核とした2市3町で構成される庄内地方。鶴岡と酒田にある歴史、自然、文化の見どころと四季折々の海の幸・山の幸に恵まれた美味しい食をご紹介。
庄内地方とは
山形県は主に4つの地域に大きく区分されます。その中の1つである庄内地方は日本海側に面した地域一帯を指します。面積は県土の約4分の1をしめる2,405平方キロメートル、これは神奈川県や佐賀県とほぼ同じ面積にあたります。
西に日本海がある他は、北は鳥海山、南は朝日山地、東は出羽山地といったように、四方を山と海に囲まれ、庄内平野と呼ばれる日本有数の穀倉地帯を有しています。
鶴岡市・酒田市を核とした2市3町で構成されたこの地域は四季折々の海の幸・山の幸に恵まれた食材の宝庫であり、城下町・湊町の風情が今なお残る魅力的な観光地です。
庄内地方への行き方、アクセス
■空路:最寄りの庄内空港へは羽田空港から約一時間の空の旅です。全日空が一日4往復運航しています。
※最新の運航状況はANAのサイトをご確認下さい。
庄内空港から酒田、鶴岡両方面へは飛行機の運航にあわせた時間の「庄内空港連絡バス」が便利です(空港⇔酒田駅前約30分、空港⇔鶴岡駅前約30分)。
■鉄道:東京からの場合、上越新幹線で新潟まで行き(約2時間)羽越本線で日本海側を約2時間で鶴岡に、約2時間半で酒田に到着します。日本海側の景観は外国の方などに人気です。また、山形新幹線で新庄まで行き(約3時間)、陸羽西線で途中余目駅で乗り換えて約1時間で鶴岡・酒田に到着します。
■高速バス:東京、大阪、京都や仙台、山形などとの都市間の高速バスも運行しています。
日本近代化の原風景に出会うまち、鶴岡
鶴岡は江戸時代、徳川四天王筆頭である酒井家が庄内藩として14万石を統治して以来、今もご当主が住み続けている国内では非常に珍しい地域です。戊辰戦争で、幕府側として激しく戦った庄内藩は降伏後、藩内の開墾に着手します。旧庄内藩士たち約三千人は刀を鍬に変え荒地を開墾し、養蚕事業を開始しました。蚕種から絹織物の製品化まで一貫した工程が一つの地域に集約されているという類まれな日本の最北限の絹産地「鶴岡」がここに誕生したのです。明治維新以降は、酒井家の居城であった鶴ヶ岡城は一部を残し解体されましたが、今なお城下町の風情が残り観光客の目を楽しませています。
<庄内コラム> 庄内藩とは ~他藩が恐れた領民パワー
酒井忠篤(ただすみ)を藩主とする庄内藩は14万石の譜代大名で、外様大名が多い奥羽地方にあって会津藩とともに徳川家に忠誠を尽くす藩とされていました。庄内藩の奮戦を支えたのが、酒田の豪商本間家です。開戦当時、本間家は五万両の武器弾薬を提供したとされていますが、その中には7連発のスペンサー銃をはじめとする最新式の鉄砲や大量の弾薬が含まれており、そういったことから庄内藩は近代兵備を装備した強力な軍隊だったといえるでしょう。また、新政府軍との戦いの際、庄内藩は最終的に4,500人の兵を動員していますが、そのうちの2,200人が領内の農民や町民に組織された民兵だといわれ、このような高い比率は他藩では珍しいことでした。それだけ領民と藩との結びつきが強かったことを表しています。
鶴岡で訪れたい、お勧め観光スポット
藩校致道館~庄内藩の不屈の精神はここで育まれた、東北地方に現存する唯一の藩校建築物
致道館(撮影:ユーラシア旅行社)
徂徠学(そらいがく)は古い辞句や文章を直接読むことによって、後世の注釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問です。庄内藩校は全国の藩校の中では珍しく徂徠学を重んじ、個性伸長・自学自習を特色とすることで、庄内藩士の精神的支柱を形成しました。生徒一人ひとりの生まれつきの個性に応じてその才能をのばすことを基本にしながら、単なる知識の詰め込みではなく、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじたのは、全て徂徠学の思想に基づくものです。ここで培われた教学の精神は、維新後に旧藩士が従事した開墾事業へ多大な影響を与えたといわれています。
致道博物館
庄内藩・酒井家の御用屋敷跡に整備された博物館で、同藩校で使用されていた文物や用具に加え、庄内地方の生活文化を物語る民俗資料約3,550点が収蔵展示されています。また、博物館構内には国指定重要文化財の旧西田川郡役所や、旧鶴岡警察署庁舎、多層民家など貴重な歴史的建築物が移築されています。
加茂水族館~別名「クラゲドリーム館」と呼ばれる癒しの空間
オボンクラゲ(撮影:ユーラシア旅行社)
館内にクラゲ研究所を持ち、約60種類にもおよぶクラゲの展示数は世界一を誇ります。目玉は「クラゲドリームシアター」と命名されたクラゲ専用の水槽としては世界最大級の直径5メートルの大水槽で、円形型の水槽の中には約10,000匹のミズクラゲが漂い、神秘的な癒しの空間を作り出しています。展示されているすべてのミズクラゲはこちらの研究所で繁殖させたもので、その繁殖技術も最先端をいっているといえましょう。
こちらの水族館の名誉館長である生物学者の下村脩(おさむ)教授によってオワンクラゲの発光するしくみが解明され「緑色蛍光タンパク質GFPの発見と開発」でノーベル化学賞を受賞したことから、オワンクラゲを飼育している加茂水族館もより注目が集まるようになりました。
北前船交易によって栄えた湊町、酒田
日和山公園の復元された北前船(撮影:ユーラシア旅行社)
山形県をつらぬく最上川が日本海にそそぐ河口に位置する酒田市。川と海の接点として貿易の街として栄えました。特に江戸時代に天領米を運ぶ北前船の寄港地となると、内陸の産物の輸出や他の都市との交流で華やかな京風の商人文化が栄えました。大火や大地震で失われてしまった建物が多いものの、その文化は今も当地に息づいています。
酒田で訪れたい、お勧め観光スポット
本間家旧本邸・本間美術館
本間家別邸の鶴舞園(撮影:ユーラシア旅行社)
北前船の交易で利益をあげ、また農地振興のため地元の土地改良や利水事業を行ってきた本間家。庄内藩主である酒井家の信頼も厚く、現代にいたるまで庄内の発展の旗手として慕われています。旧本邸は幕府の視察隊を迎えるために本間家が酒井家に献上したお屋敷でしたが、役目を終えた後には本間家の人たちが昭和20年まで暮らしていました。書院造りの武家屋敷と商家造りが一体となっている建築様式は全国的にも珍しく、巡見使を迎えた御座敷や長屋門、北前船で運んだ銘石を配した庭園などが、酒田の歴史と文化を今に伝えています。本間美術館は、本間家が大名から拝領した品、歴史史料として価値の高い文書、当主が好んだ茶道の道具などおよそ3.000点の重要文化財を収蔵しています。敷地内には本間氏の別邸の庭園であった鶴舞園(国指定名勝)や藩主の休憩所として作られた“酒田の迎賓館”清遠閣があり、人の手と時間が作り上げた美しい景観もともに楽しむことができます。
北前船交易の象徴 山居倉庫
天領米の産地であり現在も日本随一の米どころ庄内。その米を船に詰め込む前の集積場として栄えた酒田。そのたくさんのお米を保管していたのが山居倉庫です。雪国らしいとんがり屋根の倉庫が小川沿いに並ぶ風景は酒田のシンボルであり、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケ地にもなりました。建物は現在も一部お米の倉庫として使われているほか、「庄内米歴史資料館」や物産館としても活用されています。
相馬樓
酒田には北前船によって西方とくに京風の文化(食事や遊びなど)がたくさん伝わりました。なかでも、港の賑わい花街の華やぎは「酒田甚歌」にも高らかに歌われています。江戸時代から続き国の登録文化財建造物に指定された料亭の建物を修繕した相馬樓の2階大広間では、酒田舞娘の踊りや食事が楽しめ、北前船で繁栄した酒田の栄華を感じることができます。相馬樓の前身である「相馬屋」時代は一見さんお断りの料亭でしたが現在は、誰もが気軽に立ち寄れる舞娘茶屋になっていて一見さんも大歓迎。ツアーでも酒田舞娘の演舞をご鑑賞いただきます。また相馬樓内には、オーナーの人脈により、多くの竹久夢二のコレクションや写真を展示する竹久夢二美術館も併設しています。
山形県唯一の島、飛島(とびしま)
飛島海水浴場(撮影:ユーラシア旅行社)
酒田港から約40km離れた沖合に浮かぶ飛島は、島全域が鳥海国定公園に指定されています。また、約1000万年前の海底噴火によって形成されたことから島に設けられた海岸遊歩道を歩くと迫力ある溶岩石を見ることができます。春から月ごとに季節の花が開花していきますが、6月は太陽のように輝くトビシマカンゾウの花を見ることができます。
トビシマカンゾウ(撮影:ユーラシア旅行社)
<庄内コラム> 即身仏文化 ~この世に生を受けたもの全てを救わんと身を捧げた行人たちに会える場所~
日本国内には、十数体の即身仏が安置されており、そのうちの6体が庄内の5つの寺院で眠っています。彼らは修験の山として知られる湯殿山仙人沢で修行を積んだ行人たちでした。国内のおよそ3分の1の即身仏が庄内に存在しているのはこのためです。彼らの願いは今も人々に崇拝され、湯殿山の麓を中心に深く信仰を集めています。即身仏とは、疫病や飢餓などの苦しみから人々を救うために、厳しい修行を積んだ行人(修行僧)が永遠の瞑想に入った(入定:にゅうじょう)姿、つまりは僧侶のミイラのことです。まず、行人たちは「木食行(もくじきぎょう)」と呼ばれる、穀物を断ち木の皮や木の実を食べることによって命をつなぐ修行を行います。こうすることで、体の水分や脂肪・汚物を取り除き、死後腐りにくい体を作る、つまり生きている間に、ミイラの状態に体を近づけるのです。その後、生きたまま仏になるために箱に入り、それを土中に埋められ読経をしながら永遠の瞑想に入ります。この時、行人は節をぬいた竹で箱と地上を繋ぐことで空気を確保し、読経をしながら鈴を鳴らします。鈴が鳴らなくなった時が入定の時なのです。それから3年3ヶ月の時を経てから掘り出され、乾燥ののち即身仏として安置されます。
山岳修験の聖地、出羽三山
月山・羽黒山・湯殿山の総称である出羽三山は、1400年以上にわたり、修験の地として信仰を集めています。高く秀麗な姿から太古の昔より信仰を集め、祖霊が鎮まる山として「過去の世を表す山」といわれる月山、出羽三山の中で最も人里に近く、人々の現世利益を叶える山であったことから「現在の世を表す山」といわれる羽黒山、そして、山中で修行を行う山伏が生まれかわりを果たす聖地であり「未来の世を表す山」といわれる湯殿山。このように現在・過去・未来に見立てられた出羽三山は、生まれかわりの山として古より信仰が集まり、西の伊勢神宮に対し、出羽三山に詣でることを「東の奥参り」として人生儀礼の一つとする風習があるほど今も昔も参拝者が絶えないパワースポットなのです。
※羽黒山五重塔の杮葺き屋根が20年前の前回工事後から風雨で腐食が進んだため、令和5年(2023年)5月上旬~令和7年(2025年)春頃まで屋根改修工事を行います。上記の期間は工事の足場や幕などにより五重塔を見ることができなくなります。
※冬季期間は足場を外しますので見ることができます。
庄内の豊かな食文化~日本のバスク地方~
庄内地方は四方を海と山に囲まれ、日本のバスク地方といわれるほど海山川里の幸に恵まれた食材の宝庫です。春にはタケノコなどの山菜や春告魚とも呼ばれるサクラマスをはじめ様々な食材が顔を出し、暑い夏には鳥海山の伏流水で育った岩ガキやスルメイカ、だだちゃ豆に庄内砂丘メロンといった野菜や果物が次から次へと登場します。秋の新米や真鯛、冬のズワイガニや寒鱈など旬の食材を一年中楽しむことができるまさに美食の地といえるでしょう。また、庄内といえばお米、お米といえば日本酒のイメージが強いと思いますが、近年は地元産のぶどうを使用し、ワイン醸造まで一貫して手掛ける動きも広がりを見せ、ワイン産地としても注目を集めています。醸造所で畑の見学やワインの試飲も楽しむことができます。
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