大航海時代にスペインと競って華やかな功績をあげたポルトガル。貿易で手にした巨万の富は国を大いに繁栄させました。首都リスボンや第二の都市ポルトでは今も当時の繁栄振りが窺える建物をご覧頂けます。一方で、繁栄の波がそれほど及ばなかった地方の小さな街や村では、今も素朴で伝統的な生活が送られています。また、大西洋に浮かぶ常春のマデイラ諸島も迫力ある自然、色彩豊かな文化と魅力に溢れています。
目次
- ポルトガルとは
- ポルトガルを訪れたら、絶対に訪れたい首都リスボンの旧市街
- 大航海時代の栄華、ベレン地区の発見のモニュメント
- 大海原へ旅立つ冒険家たちに思いを馳せるユーラシア大陸最西端、ロカ岬
- ポルトガル黄金期の芸術様式、マヌエル様式の建築を鑑賞
- 歴代国王の夏の離宮、シントラ
- リスボンの夜は哀愁漂うファドの調べとともに
- ポルトガル旅行で絶対に行きたい観光地、「ポルト」
- 天正遣欧少年使節団も訪れた中世の街、エヴォラ
- ポルトガル初代国王の出身地、ギマランイス
- 王妃の愛した町、オビドス
- 大学都市コインブラ
- マヌエル様式とゴシック様式の混在する街、バターリャとトマール
- ポルトガルでもっともポルトガルらしい村、モンサント
- ポルトガル文学で語り継がれる、悲恋のアルコバサ
- 絶対に立ち寄りたい常春の島、マデイラ諸島
- 世界遺産の太古の森、ラウリシルヴァ
- 可愛らしい村、サンタナ
- 絶対泊まりたいポルトガルの伝統的ホテル、「ポサーダ」
- ポルトガル旅行で絶対に食べたい、グルメ&スイーツ
ポルトガルとは
ポルトガル基本情報
【正式名称】ポルトガル共和国
【面積】91,985平方キロメートル(日本の約4分の1)
【人口】約1,027万人(2018年,ポルトガル国立統計院)
【首都】リスボン市(Lisbon)
【民族】大部分はポルトガル人
【言語】ポルトガル語
【宗教】カトリック教徒が圧倒的多数
【時差】本土:日本よりマイナス9時間(サマータイム時マイナス8時間)、アソーレス諸島:日本よりマイナス10時間(サマータイム時マイナス9時間)
ポルトガルを訪れたら、絶対に訪れたい首都リスボンの旧市街
リスボンの街並み
リスボンの路面電車
海かと見まごう大河、テージョ川河口に位置するポルトガルの首都リスボン。この街の歴史は紀元前1000年頃、フェニキア人の港が築かれた頃まで遡ります。当時はアリス・ウーボ(「穏やかな港」の意)と呼ばれていました。その後のローマ時代、ムーア人による支配の時代と、支配者が変わる度に街は名前を変えました。8世紀から400年以上にわたって続いたムーア人の支配から街を解放したのがアフォンソ・エンリケスです。この時、街の名前がリスボンと定められました。
大航海時代の栄華、ベレン地区の発見のモニュメント
発見のモニュメント/リスボン
そして15世紀、エンリケ航海王子の西アフリカ遠征により幕が開いた大航海時代。バスコ・ダ・ガマ、フェルナンド・マゼラン、クリストファー・コロンブス、国籍や、その後旅した場所は違えど、錚々たる面々がこのリスボンで学びました。大航海時代の勢いを感じさせるものがリスボンにはあります。1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられた「発見のモニュメント」です。テージョ川に面するベレン地区にあるこのモニュメントには、エンリケ航海王子を先頭に、繁栄を担った航海士、文化人、有力者などの姿が刻まれています。
大海原へ旅立つ冒険家たちに思いを馳せるユーラシア大陸最西端、ロカ岬
ロカ岬
北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸最西端の地、ロカ岬。ロカ岬に建つ十字架の塔の下に、こんな言葉が刻まれています。
「ここに地が果て、海が始まる。」
バスコ・ダ・ガマの功績に感銘を受けたポルトガル最大の詩人カモンイスによる詩の一節です。スペインと共に大航海時代の幕開けを飾り、その黄金期を迎えたポルトガル。西アフリカ沿岸の航路を開拓したエンリケ航海王子、喜望峰に達したバルトロメオ・ディアス、そしてインド航路を開拓したバスコ・ダ・ガマ。果てしなく広がる大海原を前に、かつての冒険家たちに思いを馳せてはいかがでしょうか。
ポルトガル黄金期の芸術様式、マヌエル様式の建築を鑑賞
ジェロニモス修道院/リスボン
ベレンの塔
新たに開拓された航路は、ポルトガルに多大な富をもたらし、海の覇権は、ヴェネツィア、ジェノヴァからリスボンに移りました。ポルトガルの黄金時代に王座につき、絶対王政を確立したのがマヌエル幸運王です。マヌエル幸運王の名は当時流行した芸術様式の名にも残っています。ポルトガル黄金期の芸術様式「マヌエル様式」は、ゴシック様式を土台に、ロープ、錨、天球儀など船に関わる装飾、貝殻、珊瑚、海藻などの海産物、アジア、アフリカの目新しい動物、そしてもちろんキリスト教モチーフなどがあしらわれています。それらの装飾が過剰なまでに施されている様子からは、当時の繁栄振りが伺えます。
歴代国王の夏の離宮、シントラ
シントラの王宮
リスボンから西へ約30キロ、標高500mを越すシエラ・デ・シントラと呼ばれる山は格好の避暑地であり、歴代の王がこぞってここに夏の離宮を建てました。かつて詩人のバイロンも「この世のエデンの園」と讃えました。
リスボンの夜は哀愁漂うファドの調べとともに
哀愁漂うファド(イメージ)
ポルトガル語で「運命」を意味するこの伝統音楽は、19世紀初頭にはギターラ、ヴィオラを従えて黒い服に身を包んだファディスタが歌う現在の形になっていました。2011年、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。歌われる内容は明日への希望や、漁師たちの労働歌もありますが、ファドの醍醐味を味わえるのは女性の悲哀を歌ったものと言われています。海に出て帰らぬ夫、過去の男、生活の苦しさなどを声を張り上げて歌う様子に聴き手は心を揺さぶられます。それは日本の演歌にも通じるものがあります。
ツアーでは見所の多いリスボンに連泊し、ファドをゆっくりお楽しみいただくことができます。
ポルトガル旅行で絶対に行きたい観光地、「ポルト」
世界一美しい駅「サン・ベント駅」と、世界一美しい書店「レロ書店」
ドン・ルイス1世橋とポルトの街並み
ポルトのサン・ベント駅
世界一美しい書店・レロ書店
1996年、歴史地区が世界文化遺産に登録。ポルトガル第二の都市。アルト・ドウロで収穫され搾られたワインは、ここポルトで熟成され港から世界に運び出されます。また、近郊にある街、ガイアはかつて“カレ”と呼ばれており、”ポルト・カレ“がポルトガルの語源だと言われています。ドウロ川のほとりに広がる美しい旧市街の眺め、素晴らしいアズレージョ(青のタイル装飾)で飾られた、世界で最も美しい駅と名高いサン・ベント駅など、見所も多く、ポルトガルを訪れるなら必ず立ち寄りたい場所です。
ポートワインを味わう
本場で楽しむポートワイン
ポルトからドウロ川をさかのぼること約50km、そこがポートワインの故郷、アルト・ドウロ地域です。急峻な渓谷に広がるブドウ畑の美しい文化的景観が評価され、2000年に世界文化遺産に登録されました。ドウロ川が刻んだ渓谷には、山の稜線に沿って段々に、見渡す限り一面のブドウ畑が広がっています。石灰岩質の土壌、昼夜の激しい気温差、ちょうど良い湿度に恵まれた土地は、独特の糖度の高いブドウを産出します。世界三大酒精強化ワインである「ポートワイン」を名乗るには、ドウロ川上流の限られた土地で生産されることは絶対条件。しかしそれ以上に、美しいアルト・ドウロの景色もまた、ポートワインの味を深めているのではないか、と思えてくるほどです。
天正遣欧少年使節団も訪れた中世の街、エヴォラ
ディアナ神殿/エヴォラ
1986年、世界文化遺産に登録。イスラム勢力から奪還して以来、歴代の王が好んで過ごした町。ルネサンス時代には多くの芸術家が宮廷に集まりました。中でも多かったのが建築家で、マヌエル様式、ルネサンス様式、バロック様式、イスラム風と様々な様式の建築が現存しています。街の中心には、紀元2~3世紀にローマ人によって建造された神殿が、今も街のシンボルとして残っています。
ポルトガル初代国王の出身地、ギマランイス
「ここにポルトガル誕生す」の文字/ギマランイス/トゥラル広場
ギマランイス城
2001年、歴史地区が世界文化遺産に登録。ギマランイスの町の入り口には「ここにポルトガル誕生す」と記されています。ここは初代国王アフォンソ・エンリケスが生まれた地であり、住民は建国の地であることに誇らしげです。古く、情緒ある街並みの散策も楽しい所。
王妃の愛した町、オビドス
オビドスの街並み
ムーア人の勢力を駆逐したあと、人々は防衛面だけでなく美しさにも気を配ってオビドスの街を整備しました。王妃イザベルがその美しさにひどく心を奪われため、ディニス王は王妃にこの街を贈りました。オビドスは現在もオビドスの街はあちこちに花が咲き往時の美しさを留めています。城壁に囲まれた小さな街は散策をするのも楽しい街で、城壁の上からは美しい街の風景を一望することができます。小さな教会をめぐり、オビドス名物のチェリーのリキュール・ジンジーニャをチョコレートのカップで飲んでみるのはいかがでしょうか。
大学都市コインブラ
コインブラ大学
1255年にリスボンに遷都されるまでの間ポルトガルの首都はこのコインブラでした。その後、1290年にディニス王によってヨーロッパ最古の大学の一つであるコインブラ大学が創設されました。学部ごとに違うリボンの色、女子学生は好きな男子のマントの裾に裂け目を入れるなど独特の興味深い学生文化もあります。
マヌエル様式とゴシック様式の混在する街、バターリャとトマール
バターリャ修道院
キリスト教修道院/トマール
ポルトガル語で「戦場」を意味するこの町はジョアン1世がカスティーリャ軍を破った戦勝記念の町です。世界遺産に登録された修道院の正式名称は「勝利の聖母マリア修道院」。1388年に始まった建設は約200年続きましたが、建設事業を引き継いだマヌエル1世の関心がリスボンのジェロニモス修道院の建設に移ってしまった為、未完のまま、ドームのない礼拝堂が静かにたたずんでいます。 バターリャとトマールには、マヌエル様式とゴシック様式が混合した荘厳な建築物が多く残っています。
ポルトガルでもっともポルトガルらしい村、モンサント
1938年に、「ポルトガルでもっともポルトガルらしい村」に選ばれた、モンサント。この村は、巨岩の村として有名です。丘の中腹に広がる村の中にはたくさんの巨岩がごろごろと存在しており、人々はその巨岩と巨岩の間に家を建て、巨岩自体を家の壁として利用してしまっているのです。なんとも不思議な光景を目にすることができる、ポルトガルならではの村です。
ポルトガル文学で語り継がれる、悲恋のアルコバサ
イネスの棺/サンタ・マリア修道院
1989年、アルコバサのサンタ・マリア修道院が世界文化遺産に登録されました。この修道院に関わる、ポルトガル文学で語り継がれる悲恋があります。
父アフォンソ4世により、隣国のコンスタンサ姫と政略結婚させられたペドロ1世は、姫の侍女イネスと恋に落ちます。姫が亡くなると、王子とイネスの仲は公然のものとなり3人の子を授かりました。公務も顧みずイネスに執心の息子に激怒した父アフォンソ4世はイネスと3人の子の暗殺を命じます。最愛の女性を殺された王子は父の死後、王位に就き復讐を果たします。暗殺に関わった者を処刑し、妻イネスの墓を掘り起こし戴冠式を行ないました。ペドロ1世の死後、二人の棺はお互い足を向けるような配置で、サンタ・マリア修道院に安置されています。
絶対に立ち寄りたい常春の島、マデイラ諸島
フンシャル
ラブラドーレス市場/フンシャル
リスボンから西に1000キロ離れた、大西洋上に浮かぶマデイラ島。奄美大島と同じくらいの大きさの島ですが、山あり谷あり、荒々しい海岸線など多様な魅力に溢れています。
中心地フンシャルには、見どころが満載。トロピカルなフードマーケットや歴史ある美しい建造物をめぐって、楽しい時間を過ごしましょう。
世界遺産の太古の森、ラウリシルヴァ
ラウリシルヴァ
ラウリシルヴァは大陸では氷河期に絶滅してしまった太古の照葉樹が自生する森です。氷河期以前のヨーロッパにおける植生が現存する希少性から世界遺産に登録されました。月桂樹の発する香気が虫や鳥を遠ざけているため不思議な静寂に包まれています。
可愛らしい村、サンタナ
萱葺き屋根の家が並ぶサンタナ村
開拓時代、祖国の家をまねて造ったといわれる、大きな萱葺き屋根が特徴の家々が残るサンタナ村。日本の合掌造りを髣髴とさせるずんぐりとしたシルエットに、魔除けのカラフルな窓枠や扉。そして四季を問わずカラフルな花々で彩られる素朴な村をお楽しみ下さい。
絶対泊まりたいポルトガルの伝統的ホテル、「ポサーダ」
ヴィアナ・ド・カステロのポサーダ(イメージ)
エヴォラのポサーダ(イメージ)
ポサーダとは、古城や修道院、貴族の館などの歴史的建築物を改築し、その独特の建築様式を保ち利用している国営ホテルです。ポルトガル国内に約40軒あります。それぞれに個性がありながら機能は現代的で便利です。古く、情緒漂う中世の世界のような雰囲気のポサーダで過ごすひと時こそ、ポルトガルに訪れる醍醐味といえるでしょう。
ポルトガル旅行で絶対に食べたい、グルメ&スイーツ
アロシュ・デ・マリスコ
エッグタルト
ポルトガルの料理は、何故か日本人に口によく合います。同じ海洋国家だからか、魚介類を使ったお料理には懐かしさすら感じます。ポルトガルでこそ味わってほしいお食事がいっぱいです!
ポルトガル風ブイヤベース(カルディラーダ)や、干し鱈の卵とじ料理(バカリャウ・ア・ブラージュ)、豚肉とアサリを炒めた料理(カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ)やタコの天麩羅やナザレのイワシなどシーフードが満載です。
またエッグタルトやチーズタルトなど、美味しいスイーツも見逃せません。
*ご旅行金額につきまして*
添乗員付きツアーの旅行代金は全て総額表示です。
空港税・宿泊税や燃油サーチャージは追加徴収いたしません。
出発前の大幅な追加請求や空港税・宿泊税の支払いのために旅行中に手元の残金を気にかける必要がありません。
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